どうも、本筮易者の晋之助です。
今回は「易とは何か?」というお話。
「易」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「占い」ですよね。
頭に円筒の帽子を被ったおじいちゃん易者が、黒い棒をジャラジャラして占いの結果を教えてくれる。
だいたいそんなイメージでしょう。
あるいは漢文や歴史が得意であれば「易経」という経典を連想する人も少なくないはず。
易経とは、教科書で目にしたであろう「四書五経」の「五経」のうちの一つで、儒家の始祖として有名な孔子も関わっている経典です。
個人的には「易って何?」と聞かれるのは、「生きる意味って何?」と同じような哲学的な質問だと感じています。
占術であり、思想であり、哲学であり…ひと言ではとても言い表せないのが「易」じゃ。人間の人生観は易のほんの一部と言えるわな。
とはいえ「もっと簡単に易を知りたい!」という人のために、今回はできるだけ難しさを排除し、分かりやすさを重視して「易とは何か?」を紐解いていきます。
占いなどで「易」という存在を見かけて気になっている人に、ピッタリの内容です。
これを機に、ぜひ易の世界に足を踏み込んでみてください。
易についての基礎知識
易のルーツ
易の起源は今から約3000年前、中国大陸にあったとされる殷(いん)という王朝の時代までさかのぼります。
軍事、祭祀、狩猟,天候など国家的行事の吉凶を占う卜占(ぼくせん)という風習があり、その卜占の道具として亀の甲羅や牛の肩甲骨が使われていました。
事前に占う内容を亀甲や骨に刻んでおき、それを熱して生じた「ト」の形に似たひび割れから判断するというものです。
この判断とその後に起きた結果も同じ亀甲や骨に刻んでいき、その記録の積み重ねとしてまとめた「卜辞」が易の起源にあたります。
3000年前といえば、日本では縄文時代。
土器や石器が生活で活躍していた時代に文字で記録をしていたことも驚きですが、さらに注目すべきなのは当時の殷人が亀甲や骨のひび割れに統計性と偶然性とを織り交ぜた神性を見出していた点なのです。
例えば、星の動きや季節の移り変わりは統計から先読みできる不変的なものですね。
人の運勢やご縁は可変的な偶然とも言えるわな。しかし、それすらも大いなる統計から先読みできると考えられるのじゃ。
殷人は、この統計と偶然という相反する要素を1つにまとめて神性として見ていたのです。
つまり、統計的な考えから偶然的な事象を先読み・分析しようとしていた、と言えます。
これはまさに神様の目線から物事を見るようなもの。
こうした神性に対する精神は、今日の易にも大いに共通しています。
経典「易経」の編纂
殷人の「卜辞」に見る神性は、もはや万物の真理とも言える事象です。
ここで問題になるのは、どれだけの言葉を尽くしても、こうした万物の真理を表現するには足りないということ。
そのため、伝え方や残し方、そして発展の仕方に課題がありました。
この万物の真理を「卦(か)」というシンボルに落とし込んだ存在がいます。
それが伏羲(ふっき・ふくぎ)です。
「人物」ではなく「存在」と書いたのは、伏羲は古代中国の神話に登場する神様だからです。
実在した存在かどうかは分かりません。
ただ、卦が現存していることは事実。
卦の詳細についてはこの記事で後ほど記していますが、卦というのは ☰ や ☷ というように、陽を表す横一本線と陰を表す横二本線で構成されるシンボルのことです。
この卦というシンボルは、天・沢・火・雷・風・水・山・地の8つの要素からなる八卦(はっか・はっけ)と、さらに八卦を2つ並べて64通りの表現方法を得る六十四卦(ろくじゅうしか・ろくじゅうしけ)を構成します。
「易経」という経典は、これら卦の説明と解説を記したものです。
解説書にあたる「十翼」の作成にたずさわったのが孔子と言われています。
八卦と六十四卦を用いて万物の真理を紐解いた経典なので、易経は占術書であり思想書であり哲学書とも言える奥が深い書物というわけです。
ここでなぜ易経に「易」という漢字が用いられたか疑問に思う人もいるかと思います。
これには主に2つの説があり、陽と陰を表す「日」と「月」を組み合わせたという説と、体の色を変えることができる蜥蜴(とかげ)の字を借りて万物が変化する理に例えたという説です。
じゃからワシが晋之助の先生として登場しているというわけなのじゃ。
易経?周易?易の名称の違いとは
現代においては主に占いの世界で目にする易ですが、易を提供する易者によって名称の掲げ方が異なることがあります。
単に「易」と呼ぶこともあれば、「易経」「周易」「易断」「易学」などの呼び方がありますが、いったい何が違うのでしょうか?
結論から言うと、多くの場合はどれも「易を立てて占う」ことには変わりありません。
ただ、それぞれ名称の背景にあるニュアンスは異なりますので、ここではその違いを説明します。
まず「易経」は前述の通り経典としての呼び方。
易について体系的にまとめられている歴史ある書物なので、世界的にも有名な名称です。
一般の方からの認知されている名称としては一番でしょう。
次に「周易」という名称。
周とは殷のあとにできた古代中国の王朝であり、周の時代に発展した易が周易です。
「では他にも易の種類があったのか?」という疑問はまさにその通りで、昔々に周易を含めて三易と呼ばれる易の文献がありました。
ただ他の2つの文献はすでに滅んでしまっているため、「周易」とは現代に残った唯一の易の占術と言えます。
残る「易断」と「易学」は文字そのままの意味です。
易をもってして吉凶を判断するのが易断。
そして易を学問として研究するのが易学ですが、果てしなく奥が深い易を研究する易学者という職業も存在します。
易を立てる3つの方法(本筮・中筮・略筮)
易の名称とは別に、易者が掲げているものがあります。
それが「筮法(ぜいほう)」と言われる易の立て方です。
ちなみに易を用いて占うことを「易を立てる」「卦を立てる」あるいは「立筮」と言います。
筮法は「本筮法」「中筮法」「略筮法」の3つに分かれます。
「筮」とは易を立てるときに使う道具である植物のことです。
古くはノコギリソウの茎を使っていましたが、現代では竹から作った「筮竹(ぜいちく)」を使用します。
この筮竹をどうさばいて(数えて)卦を得るか、という手段によって筮法が変わるんですよね。
そう、多くの易者はどれか1つの筮法に絞って易を立てるもんじゃな。複数の筮法を使い分ける易者はそうはおらん。
筮竹のさばき方の違いを文章にするととても複雑なのでここでは省きますが、筮法の違いはそのさばき方の複雑さの違いです。
周の時代から伝わるもっとも古い筮法で正式とされるのが「本筮法」です。
私が嗜むのもこの本筮法。他の筮法と比べると筮竹のさばき方が複雑で手間が掛かるため、現代で本筮法を扱う易者はほとんどいないようです。
本筮法の考え方を残しつつ手間を短縮化したのが「中筮法」です。
分かりやすく手間の工数を数値化すると、本筮法が18のところ中筮法は6となります。
そして最後の「略筮法」は工数で表すと3にまで短縮されています。
現代の易者には略筮法が主に使われている筮法という印象です。
筮法によって優劣があるわけではありません。
ただし、卦を得る手間が複雑なほど表現の柔軟さの幅が広がると考えます。
強引ですが車の運転で例えるなら、本筮法はマニュアルでの運転、中筮法はオートマ、略筮法は自動運転。運転手法の複雑さと運転の柔軟度が比例していることと同じことが言えるイメージです。
易のシンボルを使った答えの導き方
太極・陰陽
易には易簡・変易・不易からなる3つの名義(三義)という言葉があります。
分かりやすく説明すると、万物の真理は変わるものであり変わらないものでもあり、その理の根本は簡単明瞭なものである、という意味です。
日は東から昇り西に沈む。花は咲けば枯れる。男と女が生命を作る。世の中の事象は複雑なことばかりじゃが、根本を突き詰めれば至極簡単なことなのじゃ。
こうした果てしなく循環していく事象の根元を太極と呼びます。
この記事でも画像として使用していまずが、白と黒からなる円形の図が太極図です。
さらに、根源である太極を簡単に説明するための始まりの要素が「陽」と「陰」です。
陽と陰はそれぞれ「明るい・暗い」「発展・衰退」「男・女」などなど、相反する事象が当てはまります。
シンボルとしては、陽は横一本線の「⚊」を用い、陰は横に二本線の「⚋」を用います。
八卦
陰陽を2つ重ねて作ってできる4つのシンボル(⚌・⚍・⚎・⚏)で四季を表します。
そしてさらに細かく事象を表現するために陰陽を3つ重ねたものが八卦です。
八卦を並べたものがこちらです。
☰ 乾(天)
☱ 兌(沢)
☲ 離(火)
☳ 震(雷)
☴ 巽(風)
☵ 坎(水)
☶ 艮(山)
☷ 坤(地)
陰陽を3つ重ねることには天・人・地の3要素を表す意図があり、この八卦によって自然現象・方位・人の性質や心情など、この世の多くのことを表現できるようになりました。
八卦を用いた方位の概念から八方塞がりという言葉も生まれています。
あるいは相撲で使われる「はっけよい」という掛け声も「八卦良い」に由来しているという説もあります。
六十四卦
八卦を用いればこの世の多くのことを表現できるようにはなりましたが、万物の真理をより精密に説明するには8つではとても言い尽くせるものではありません。
そこで☰☰や☷☷のように、八卦を2つ並べてできる8×8=64通りのシンボルである六十四卦が作られました。
易を立てるにあたり最も重要視するのが、この六十四卦です。
さらに、六十四卦を構成する陽と陰の横線は6本あり、なんとこの1本1本にも意味がありますので64×6=384通りの表現の幅が易にはあるわけです。
この表現の幅をもって、易は万物の真理を紐解いていくのです。
六十四卦それぞれに名称や意味があるのですが、とても長くなりますのでその説明は各卦のページでじっくりご覧ください。
易は当たるのか?
「当たるも八卦当たらぬも八卦」という言葉
ここまで来るとこの言葉が浮かぶ人も少なくないはず。
お察しの通り、これは易の八卦からできた言葉です。
この言葉の表面だけをなぞると「占いは当たることも当たらないこともあるので信用できない」なんて意味として捉えがちですが、易者として別の意見を唱えます。
ここまで書いてきた通り、易には万物の真理が詰め込まれており、さらに人がそれを紐解こうとしてきた3000年の歴史があります。
その易をもってすれば当たらないことはありません。
では私が考えるこの言葉の真意は何か。
それは「当たるか当たらないかの判断を焦らず、時を置くことも重要」ということです。
起こった瞬間はショックだった出来事が、時間が経過して振り返ってみると貴重な経験だったと分かることもありますよね。
易では的確に吉兆を評価できるものですが、それを短期的な良し悪しだけではなく長期的な観点から受け止めることも大切なのです。
もちろん、こういった観点や視点からアドバイスを提供できるかどうかは易者次第ではあります。
神性をもって偶然性を追求するもの
易学者の加藤大岳氏の言葉を借りると、統計を用いて必然性を立証するのが科学であり、神性を用いて偶然性を追求するのが易と言えます。
論理的に予測ができる必然性(=科学)に対して、私たちの理解を超えて発生した偶然性の由来を人は運命、スピリチュアル、神性などと呼びます。
易はまさにこの偶然性を予測するために存在しているのです。
もっと簡単に言えば、運命を予測することができるのが易なのです。
易者の力量
易は運命を予測するための壮大なツールです。
ということは、そのツールを扱う操作者である易者の力量によって、アウトプットされる情報の量や質が左右されます。
外国語を訳すときに、翻訳する人の力量によって内容や精度が変わることとよく似ておるわい。
つまり、万物の真理が備わる易を扱う易者には、一定以上の学識・常識・教養が求められるものです。
易者たる者、様々な経験を獲得する姿勢を忘れず、常に研鑽を積み重ねていかねばなりません。
私は易を修める途のまだ半ばではありますが、「易は当たる」と胸を張って言えるだけの経験値は備えていると考えながら励んでいます。
まとめ
今回は「易とは何か?」というテーマについて、現役の易者である私、晋之助がお伝えしてきました。
「分かりやすく」という点にできるだけフォーカスしましたが、いかがでしたでしょうか。
ではこの記事の振り返ります。
易についての基礎知識:
・易のルーツ
・経典「易経」の編纂
・易の名称の違いとは
・易を立てる3つの方法(本筮・中筮・略筮)
易のシンボルを使った答えの導き方:
・太極と陰陽
・八卦
・六十四卦
易は当たるのか?:
・「当たるも八卦当たらぬも八卦」という言葉
・易は神性をもって偶然性を追求するもの
・易者の力量
これを機に「易に興味が湧いた!」と考える人が少しでも増えたとしたら、この上なく嬉しいことです。
万物の真理が詰まった易に、ぜひとも触れてみてください。
易経の廟(寺院)がある台湾のこともチェックしてみてねー!