前日に150km走って
だいぶ距離が稼げたので、
この日は台中まで55kmの短い行程。
え、距離たったの3分の1ですか?
しかも白アリ飛行部隊のアタックなしですか?
(雨降ってないので)
あ、もう超楽勝ですね。
なぜもっと先に進まないのかというと
台中住まいの後輩くんがいまして、
そこにお泊まりさせてもらうからです。
彼は日本人なのですが台湾で働き、
そして台湾人の奥様がいるという、
台湾好きの私にとっては、
まさに理想の漢。
ギガントウラヤマシス。
ということで今日のゴールは、
台中の清水区です。
マップで見ても距離ちょー短い。
苗栗出発
客家の町 三義
前日夜は辺りが真っ暗だったので
町の風景はよく分かりませんでした。
朝になって明るくなると分かりますが、
客家(はっか)関連のお店がよく見られます。
客家は客家語という特有の言語を持つ、
長い中国史の中で大陸北部から南下してきた
移民集団を指します。
日本人にも馴染みのある、
李登輝氏や蔡英文氏も
ルーツは客家にあるそうです。
客家の米食
朝9時ごろ宿をチェックアウトしたので、
客家料理店はまだ開店前。
とはいえせっかくなので
客家のお店で何か買いたいところです。
そしてたどり着いたのがこちら。
食米家客家米食
店内は昭和の駄菓子屋みたいで、
入店した瞬間、すごいローカル感。
思わずヒヨって店外に出そうになったぜ。。
しかし、せっかくの旅なのでここは我慢。
すると視覚の死角(笑)から
「ヌッ」とおばちゃんが現れました。
看板に似顔絵のあった笑顔が素敵なおばちゃんです。
(お店もおばちゃんもどこか昭和っぽい)
客家料理の知識が全然ない私。
ひとまず「オススメはなんですか?」と聞くと、
優しく教えてくれました。
結局は全部オススメというオチでしたが、
見た目が可愛い菜包をはじめ
数種類をお買い上げ。
こうして携行食をゲットした私は、
軽めの峠を超えて台中に向かいます。
台中到着
梧棲観光漁港
台中住まいのウラヤマ後輩くんは
とても親切で、かなりの台湾通。
情報発信もお手のもので、
現地目線のディープなローカルネタを
ブログやYoutubeで発信しています。
ブログ:ぽずかふぇ@台湾
Youtube:台ぶらちゃんと台湾旅行
そんな後輩くんに清水区周辺の
おすすめスポットを聞きました。
その1つめが梧棲観光漁港。
(梧棲:ごせい、ウーチー)
台湾の中でも最大規模を誇る、
観光にも特化した有名漁港です。
ちなみにこの漁港から北に5kmほど行けば
台湾のウユニ塩湖「高美湿地」もあります。
夕日どきに行くと映える写真が狙えます。
(今回の環島に来る前の年に行きました)
今日の夕日どきには
後輩くんとビールを飲みたいので
高美湿地は今回スルー。
さて梧棲観光漁港に着いたのは
ちょうどお昼の12時ごろ。
せっかくなので海鮮を食べまくりましょう。
港内をぶらぶらしてたどり着いたのが、
鹿港平価海鮮総匯というお店。
他にも似たようなお店が何軒か並んでいて、
だいたい水槽を見ながら注文するスタイル。
お店のおばちゃんの熱烈呼び込みに負けて
特に何も考えずに入りました。
同じ漁港内だから
魚の鮮度とかどこも同じでしょ、
と思って。
でも、
ここのお店ね、正直失敗でした。
後から気づいたのですが、
Googleのクチコミを見ると
なんと驚愕の ☆ 2 . 1 !!!!
グルメ大国の台湾でこんな低評価ある?
まず味が普通。
スーパーで買っても大差ない。
それでいて値段は高い。
魚の名前は分からないので
おばちゃん任せで注文した私のせいですが、
以下4皿で締めて960元。
1元 = 4.5円 換算なら
960元 = 4,320円ですよ。
しかもランチで。
口コミを見ても、
「味が良くない」「高い」
という声がほとんど。
梧棲観光漁港を訪れるときは、
レストラン選びは慎重に!
(他のお店の口コミは良かったです)
台中に見る日本の歴史 その1 「梧棲文化出張所」
後輩くん直伝の次なるおすすめスポットは、
「梧棲文化出張所」です。
1931年、日本統治時代に
警察の派出所として建てられました。
こちらは市指定の史跡なので
文化という単語を冠していますが、
当時は「梧棲官吏派出所及び宿舍群」
と呼ばれていたそうです。
しかし、なぜか、
今はアイスクリーム屋さんが入っています。
WHY Taiwanese people..!?
ただ、アイス屋さんの裏には、
純和風な家屋が復元されていて、
自由に見学することができます。
じいちゃんばあちゃんちと同じ、
懐かしい匂いがしました。
さらにはこの地域の歴史を記した、
大きなパネルも展示されています。
どうやら当時の日本政府は、
このあたり一帯を
大きな港街にしようとしていたそうです。
そのあと太平洋戦争が始まり、
資金・資材不足に陥ったことで
その計画は頓挫してしまいました。
でも、今でもこうして
日本文化を残してくれているのは、
日本人としてとても嬉しい光景です。
決して日本人が立ち寄るような
観光地ではないんですけどね。
台中の人たちの日本に対する姿勢を
しみじみと感じられる瞬間でした。
台中に見る日本の歴史 その2 「日治時期後参道」
さてお次は日本統治時代の参道に来ました。
台湾では日本統治のことを
「日治」と略すそうです。
ここは以前に清水神社という
神社が建てられていました。
今は社殿も鳥居もなく、
ただこの参道が残るのみ。
それでもどこか
懐かしい気持ちにさせてくれます。
あと足腰の運動に絶対いい。
駆け登ってロッキーごっこしたくなる。
エイドリアーーン!!!
台中に見る日本の歴史 その3 「清水公学校日式宿舎群」
最後に訪れたのは、
清水公学校日式宿舎群です。
こちらも日本統治時代の建物。
台湾の領有権を得た日清戦争の直後、
1897年に建てられました。
現在は歴史的建造物として
無料で拝観できる文化資産です。
100年以上経った今も、
隣の敷地にはガチの小学校があります。
間違えて入らないようにご注意。
この日は運悪く休館日だったので、
残念ながら拝観は叶いませんでした。
ただ後輩くんが訪れたときは、
「日本人が訪れてくれた!」と
案内人の方から熱烈歓迎を受けたそうな。
看板には水曜〜日曜開館とあったので、
ぜひ拝観可能な日に訪れてみてください。
まじ絶品!かきのかき揚げ
清水公学校を訪れたなら、
絶対行ってほしいお店があります。
それが清水白焼炸粿。
私は蚵炸(牡蠣の揚げ物)と
甜米糕(お餅の揚げ物)を注文。
いや、分かりますよ?
ダブル揚げ物に「うっ」と来るの。
でもねー、まじで美味しいんですよ。
特に蚵炸。
これだけでも食べてほしい。
蚵炸は「オァザー」と発音します。
そう、牡蠣オムレツの
蚵仔煎(オァゼン)と似てますね。
どうやら台湾語みたいです。
蚵炸(オァザー)を一言でいうなら、
かき揚げとお好み焼きの合体フード。
外はカリサク、中はちょいフワ。
衣とネギの香ばしさと、
小ぶりな牡蠣のフワッとした弾力が超マッチ。
おい、コレ…お昼に港で食べた牡蠣より全然うめーぞ!
ちなみにもう1つの甜米糕は、
甘いお餅を揚げたものです。
美味しいけど蚵炸には敵わんなぁ。
どローカルなお店なので一瞬躊躇しますが、
注文方法はシンプルです。
だいたいいつも混んでるみたいですが、
たむろしてる人たちは受け取り待ちの人たち。
気にせずお店の人に注文すればOK。
注文後に番号札が渡されるので、
他の人たちと同じように店頭で待ちましょう。
順番通りに呼ばれていくので、
中国語の数字が分からない場合は
直前に注文した人の顔を覚えておくべし。
代金は後払い制。
品物を受け取るときに支払います。
揚げ物が好きな人は超おすすめなお店です。
今日のお宿
この日は後輩くんのお家に一泊。
というわけで、お宿紹介は割愛です。
ちなみに後輩くん家は購入物件で、
現代台湾でマイホームを持つというのは、
それはそれは難しいのだそう。
中国マネーによって住宅価格が高騰する一方、
台湾の初任給はおよそ10万円ほど。
平均年収こそ約300万円(2022年)と
ここ数年で最高の伸びを見せていますが、
若い人にとってマイホームは夢のまた夢。
つまり何が言いたいかというと、
スゴいぜ後輩くん!
ちなみに彼のブログに
台湾でのマイホーム購入について
書かれた記事があります。
台湾に居住願望がある方は、
ぜひ読んでみてください。
↓
台湾の田舎で住宅 (戸建て、透天) を購入しました。購入費用やローンについて簡単にご共有
【Day 2】今日の出費・走行距離
客家の米食 190元
朝ごはん 100元
ぼったくり海鮮 960元
梧棲文化出張所でアイス 90元
清水白焼炸粿で蚵炸と甜米糕 60元
後輩くん家に宿泊 0元
後輩くんにビールの貢物 360元
合計 1,760元
= 日本円換算 7,920円 (1元=4.5円)
走行距離:55.44 km
= 累計距離:211.74 / 1,217.88 km
次の目的地は日月潭!